【皆鶴姫の碑】
源義経と皆鶴姫の悲恋を今に伝えます。
源義経と皆鶴姫の悲恋物語を伝える碑があります。
平家打倒を願う源義経は、
鬼一法眼の兵法書を学ぶために、
義理の娘である皆鶴姫に近づき
恋仲になり、源義経は兵法書をひそかに
写し取ることに成功しますが、
平清盛に気づかれ奥州へ逃げます。
皆鶴姫は、源義経の後を慕って
藤倉まで来ますが、追いつけないと知り、
難波池に身を投げてしまいます。
源義経は、磐梯町の大寺で
これを知り姫を池のほとりに葬って
墓を築いたとされています。
源義経に再会できず空しいまま
なくなった皆鶴姫は、
他の人にはこのような
別離の気持ちを味合わせたくないとして、
参詣する人に良縁を授けると
今日でも信じられています。
子供時代を東北で過ごしていたので
皆鶴姫の悲恋の話は知っていました。
宮城県に住んでいたので
気仙沼に伝わる話として読んだことがあります。
東北のいくつかの場所に
皆鶴姫伝説があります。
【所在地】
〒969-3463 福島県会津若松市河東町倉橋藤倉
(集落の東側)
【交通アクセス】
磐越自動車道 会津若松ICより車で10分
<駒繋石・説明>
皆鶴姫の碑より南方面へ60mほど行った場所です。
また「暦応の石」「駒繋石」の傍らには
小さな池があります。
この池が皆鶴姫が身を投げた
「難波の池」とのことです。
現在は、かつての存在を示す
小さな池となっています。
訪れた時は更に水も抜かれていました。
源義経~戦略家且つ戦術家であった若き天才~その悲運な生き様はやがて伝説となった。
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