幕末・維新

徳川慶喜公屋敷跡 ~現在の静岡市にあった屋敷跡2箇所をご紹介します。

徳川慶喜公屋敷跡(紺屋町)



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徳川慶喜屋敷跡】

【1】
徳川慶喜公屋敷跡・浮月楼】
とくがわよしのぶこうやしきあと ふげつろう 

江戸幕府最後の将軍であった
徳川慶喜公が大政奉還の後、
20年の余を過ごされた屋敷跡です。

徳川慶喜公屋敷跡・浮月楼

庭師である小川治兵衛に作庭させた庭園は、
四季折々に変化し、季節毎に風情があります。

徳川慶喜公屋敷跡・浮月楼

徳川慶喜公が去られた後は
浮月楼という料亭になって
140年程の歴史があります。

【所在地】
〒420-0852 静岡市葵区紺屋町11-1

【交通アクセス】
JR「静岡」駅
(新幹線・東海道本線)より徒歩5分程度。
東名「静岡IC」より車で15分程度、
新東名「静岡IC」より車で20分程度。
※付近の有料コインパーキングなどに駐車して
散策されるとよいでしょう。
静岡駅前には
徳川家康」公の銅像、

静岡駅前・徳川家康公の像

「竹千代」の銅像、
今川義元」公の銅像があります。

静岡駅前「竹千代」「今川義元」公の像

【2】
【「西草深の慶喜公屋敷跡徳川慶喜公屋敷跡」碑】
紺屋町の屋敷に住んでいた徳川慶喜は、
東海道線開通前年となる
明治21年(1888年)年3月6日、
西草深に転居しました。
ここでの徳川慶喜公の生活は
東京に戻る1897年11月16日まで
約10年近く続いたとのことです。
徳川慶喜公が東京に去った後、
この屋敷は葵ホテルとなり、
日露戦争時にはロシア兵の
捕虜収容所となりましたが、
1905年8月に火事で焼失したとのことです。

西草深の慶喜公屋敷跡徳川慶喜公屋敷跡

今は記念碑しか残っていませんが、
かつてはここに静岡で
3か所目となる徳川慶喜公のお屋敷があったのでした。

<西草深町と徳川慶喜公>
「草深町」は、「駿府96ヶ町」の1つで、
現在の西草深公園の東側に、
2筋の通りに面して一画を占めていました。
明治6年(1873年)に
一帯の武家屋敷を含めて「西草深町」となり、
昭和44年に御器屋町などを
併せて現在に至っています。

駿府城に近い草深町の近辺には、
慶安4年(1651年)に
駿府城の警護や城下の治安維持にあたった
加番の1つ「二加番」や
与力・同心などの武家屋敷が配置されていました。

草深地区には、江戸時代初期に
徳川家康公に仕えた儒者林羅山の屋敷があり、
また明治維新期には静
岡学問所頭であった
向山黄村をはじめとする
学問所の著名な学者が名数居住していました。

西草深公園には浅間神社の社家の屋敷があり、
明治2年(1869年)6月に
静岡藩主となった徳川家達公が
社家新宮兵部の屋敷に移り住みました。

<西草深公園>
西草深公園

徳川幕府第15代将軍徳川慶喜公は、大
政奉還の後、慶應4年(1868年)2月から
謹慎生活に入り、同年7月に
駿府の宝台院に移り住みました。

宝台院での謹慎生活が解かれた
徳川慶喜公は、
明治2年(1869年)に
紺屋町の元駿府代官屋敷に移り、
さらに明治21年(1888年)には
西草深町に屋敷を構え、
東京に戻る明治30年まで
政治の世界を離れ、
1市民として過ごしました。




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静岡での徳川慶喜公は、
狩りや写真を好み、油絵をたしなみ、
明治10年代から自転車を購入して
市内を乗り回って市民の話題になるなど、
多種多様な趣味と共に
西洋的な生活を謳歌した
当時の最先端を行く文化人でもありました。

中でも静岡で修得した
写真撮影の技術から生まれた作品は、
各地の風景、生活ぶりを伝える
貴重な歴史資料ともなっています。

西草深の徳川慶喜公屋敷跡は、
現在の表示では、
西草深町の14~15番、
29~30番の東部分、
31~34番を合わせた辺りとのことです。

【所在地・石碑】
〒420-0866 静岡県静岡市葵区西草深町15
西草深ポケット緑地内

【西草深公園】
静岡県静岡市葵区西草深町27
※ほど近い場所に「臨済寺」があります。

※どちらも専用の駐車場はありません。

戸定邸・戸定が丘歴史公園~富士見百景~戸定邸は重要文化財で庭園は国の名勝。

臨済寺~今川家の菩提寺で幼き徳川家康が教育を受けた場所、2代目住持は名軍師の太源雪斎。

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