斎藤氏
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日運 常在寺の住職になった美濃守護代・斎藤利藤の末子
日運(にちうん)は、戦国時代の僧侶で、美濃国守護代・斎藤利藤の末子として1484年に生まれました。幼名は斎藤毘沙童、別名は南陽坊、日護坊とも言い、兄に長井利隆がいます。父が石丸利光らと蜂起し船田城の戦いとなりますが、1495年に没し…
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長井道利~中濃衆~義龍に父との決別を促し明智を滅ぼす・出自も最期もナゾ残す人物
【長井道利】長井道利(ながい みちとし)は、戦国時代の武将。斎藤氏家臣。初め美濃竹ヶ鼻城主と…
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小見の方 (おみのかた) 斎藤道三の正室になった明智家の女性
小見の方(おみのかた)は、戦国時代の1513年に、美濃・明智城主である明智光継の娘として生まれたとさ…
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石谷頼辰とは 明智光秀と長宗我部元親の関係を結ぶキーパーソン
石谷頼辰(いしがい-よりとき)は、美濃・白樫城主である斎藤利賢の嫡男として戦国時代(生年不詳)の生ま…
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深芳野とは 斎藤道三の側室になった稲葉家の女性 みよしの
深芳野(みよしの)は、稲葉通則の娘で、稲葉一鉄(稲葉良通)の姉ともされます。または、一色義清(一…
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疋壇城~越前国境守備~刀根坂の戦い 斎藤龍興終焉の地
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斎藤義龍 (斎藤高政) 1分でわかりやすく紹介