どうする家康
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服部正成(服部半蔵)~家柄は松平清康からの家臣で伊賀衆と甲賀衆を指揮、彼自身は忍者の頭領にあらず。
【服部正成(服部半蔵)】服部 正成(はっとり まさなり/まさしげ)は戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将です。通称は半蔵(はんぞう)で、服部半蔵の名でよく知られています。松平氏(徳川氏)の譜代家臣で徳…
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築山殿(瀬名)~徳川家康の正室で松平信康と亀姫の生母ですが、後に非業の死を遂げます。
【築山殿(瀬名)】築山殿(つきやまどの、生年不詳⇒天正7年8月29日(1579年9月19日)…
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平岩親吉~徳川家康に幼年から仕え、嫡男の松平信康の傅役、名古屋城築城の総指揮官となりました。
【平岩親吉】平岩 親吉(ひらいわ ちかよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名…
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於愛の方(西郷局)~徳川家康の側室で2代将軍となる徳川秀忠の生母となります。
【於愛の方(西郷局)】西郷局(さいごうのつぼね、天文21年(1552年)(永禄4年(1561…
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井伊直政~徳川四天王の最年少、小柄で容顔美麗ながら井伊の赤鬼として勇猛果敢に生涯を駆け抜ける。
【井伊直政】井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。…
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鳥居元忠~竹千代時代からの側近で伏見城にて玉砕、その最期は血染め畳と血天井として後世に伝えられています。
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榊原康政~徳川四天王、部隊の指揮に優れ能筆家で、井伊直政・本多忠勝とは特に仲が良かったとされています。
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酒井忠次~東三河の旗頭で徳川家康第一の功臣、嫡男の信康切腹事件では防げなかったとありますが果たして?
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本多忠勝~徳川四天王の中でも屈折の剛勇者で愛槍の「蜻蛉切」で主君を救いました。
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石川数正~徳川家康の懐刀として西三河の家老になるも豊臣家に出奔、その真相は如何に?