徳川家康
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督姫~徳川家康の次女、和睦の為に北条氏直に嫁ぎ、その後は池田輝政と再婚して5男2女を授かりました。
【督姫】督姫(とくひめ、永禄8年(1565年)あるいは天正3年11月11日(1575年12月13日)⇒慶長20年2月4日(1615年3月3日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性です。徳川家康の次女となります…
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本多正信~一度は袂を分かつも盟友として家康を支え、徳川政権樹立の陰の立役者とされています。
【本多正信】本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川…
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お田鶴の方(椿姫)~今川一族で祖母は寿桂尼、夫亡き後の城を守り緋威の甲冑を纏い家康と最期まで戦った烈女。
【お田鶴のお方】お田鶴の方(おたづのかた)は、戦国時代の女性、飯尾連龍の妻です。椿姫とも…
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於大の方~徳川家康の生母、戦国の動乱の中を逞しく生き抜いた女性です。
【於大の方】於大の方(おだいのかた、享禄元年(1528年)⇒ 慶長7年8月28日(1602年…
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水野信元~徳川家康のかなり頼れる伯父だが、最期は織田信長から殺害命令が下る。
【水野信元】水野 信元(みずの のぶもと)は、戦国時代の大名です。水野忠政の次男となりま…
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今川氏真~お坊ちゃま育ちで蹴鞠の名手、家は失えど強かに生き抜き明治まで子孫を繋ぎました。
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糸(早川殿)~政略結婚で今川氏真の正室になりましたが、最期まで添い遂げました。
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木曽福島城~天文年間に木曽義康が築城、後に小笠原氏に攻め込まれました。
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二俣城~水運に恵まれた街道上の要衝で武田VS徳川の激しい攻防の舞台となり、徳川信康が切腹を遂げた城です。
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吉岡城~下條氏が7代112年間に渡って居城し、下條村の文化の中心地でありました。